新・価値のあるお買い物日記

世の中の「価値のあるもの」に注目してみます。Apple製品やあらゆる家電製品、ライフハックに関する様々なコンテンツを配信していきます。

セカイカメラが教えてくれたもの

セカイカメラは、言わずも知れたAR(拡張現実)を用いたカメラだ。
CEOの井口氏は2008年には頓知・(トンチドット)を設立し、「TechCrunch 50」で発表したこの「セカイカメラ」で全世界的なセンセーションを巻き起こした。

よくわからない、全然知らないって人はこの動画を見るといいと思います。
2年以上前の動画なんだけど、知ってる人が今見てもワクワク感やドキドキ感は今も変わらずに感じることができる。

私は日頃から趣味でソフトウェア開発をしているのだけど、このセカイカメラに出会ってから考え方が一変した。
今日はそんなセカイカメラから教わったことについて書きたいと思う。

渇望感が原動力になるということ

世の中には、一世を風靡するものというものが存在する。
それはモノであったり、人であったり、場合によっては言葉だったりする。
言うなら、セカイカメラはその全てを巻き込んだ、一世を風靡したアプリケーションだと思う。

では、何故セカイカメラがここまで話題を呼んだのか?
私はその答えが「渇望感」にあると思っている。それはどこか、Appleの製品ととてもよく似ている。

かつ‐ぼう 〔‐バウ〕 【渇望】

[名](スル)のどが渇いたとき水を欲するように、心から望むこと。切望。熱望。「優秀な人材を―する」 (コトバンクより引用)


つまり、「こうあってほしい」、「こうなればいいのに」という、人が内に秘めた思いをセカイカメラは形にしてくれたのだ
人は需要を満たされると、心地良い気持ちになり、時間を忘れると言われている。
それが内に秘めた需要、つまり自分でも気づかないけど「私はこれがほしかったんだ、こうあってほしかったんだ」と、
自らがその需要に気付かされるくらいだと、その需要が満たされた時の心地良さは何倍にもなる。
こうなるともう面白いもので、この渇望感が原動力となり、人か人へ、人からメディアへ、メディアからセカイへ拡がっていく。
まさかこんな無名のうさんくさいソフトウェア会社が、世界の技術者たちのスタンディングオベーション(素晴らしい演奏や演技、プレーに感動した観客による最大限の賛辞)
をもらうことになるとは、いやはや時代は積み上げた歴史よりも、より優れた技術を持つ企業を選ぶのだと確信できる瞬間でもあった。

間違えた方向性

そんなセカイカメラは、世の中に出て1年でその方向性を大きく見失い、見誤った方向に進むことになる。
私にはその理由が明確にわかる。それは、セカイカメラに対する「渇望感」が失われたからだ

  • 魔獣ウォーズ
  • セカイユウシャ
  • セカイカフェAR
  • CooKoo ← 2011年2月28日(月)終了
  • ばくはつカブーン!

これらは頓智ドットが今提供しているアプリの全てだ。
いろいろなメディアで騒がれているかもしれないが、当初のコンセプトPVとは似ても似つかぬ異質のアプリケーションで世の中にアピールし出したのだ。
世界でセカイカメラをアピールした割には、アプリケーションはドメスティックそのものなのだ。これじゃ世界に勝てるはずがない。

しかし、私も経営について理解がないわけではない。
夢や理想を追い続けているだけでは、会社は経営できないし、優秀な仲間も集まらない。ここら辺はよくも悪くも日本企業で、投資文化のない資金不足に悩まされるベンチャーの運命だと思う。
井口CEOにも考えがあるのだと思うが、非常にまずいと思うのは、こうしたアプリを世の中に出していくことで「セカイカメラ」が薄まっていってしまうということだ。
井口CEOは、セカイカメラを作ることを一旦あきらめたといってもいいだろう。

そこにあったらという素朴な思い

話が脱線したので、話題をセカイカメラに戻そう。
セカイカメラが目指したものは、「そこにあったらな」という情報が仮想現実空間に浮かび上がるという非常にシンプルなことだ。
この「そこにあったらな」という素朴な思いは、セカイカメラだけが目指すべき未来なのだろうか?

我々の身の回りは便利なものが溢れ、不自由のない生活ができているいっても過言ではない。
しかし、これは人々が望んだ需要に対して供給をしただけで、同じクリエイティブといっても目的そのものは利用者から提示されたものなのだ。
一方で、「そこにあったらな」は実は利用者から提示されたものではない。つまり「需要」ではないのだ

私が今まで作成してきたソフトウェアは、常に利用者の需要を満たそうとしてきたものだった。
決してそれが間違っているわけでもないし、それは必要不可欠なものだ。
だけど、今後世の中を変えていくのは「そこにあったらな」なのだ。
子供みたいに、あれがほしい、これがほしいととダダをこねてくれる利用者はきっと減ってくるだろう。何故なら、利用者既に満たされつつあるからだ。


「そこにあったらな」


私は今、セカイカメラを超える、世の中の検索のあり方を変えるシステムの構築を進めている。そしていつかきっと、井口CEOに会って、今の思いを共有したい。
「Look up! Not Down!」